主日のメッセージ(2018年3月4日~2018年7月29日)


 

   年間第17主日 2018年7月29日

   ヨハネによる福音書第6章1~15節

 

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    司式 加藤 鐵男 神父 

 

 〔そのとき、〕イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られ

た。大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。

イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。ユダヤ人の祭りである

過越祭が近づいていた。イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、

フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と

言われたが、こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしよう

としているか知っておられたのである。フィリポは「めいめいが少しずつ食べるため

にも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。弟子の一人で、シ

モン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。「ここに大麦のパン五つと魚二匹

とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たな

いでしょう。」イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさ

ん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。さて、イ

エスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。ま

た、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が満腹したとき、イエス

は弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言

われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の

籠がいっぱいになった。そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこ

の人こそ、世に来られる預言者である」と言った。イエスは、人々が来て、自分を王

にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。 

 

 

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   年間第16主日 2018年7月22日

   マタイによる福音書第6章30~34節

 

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                          司式 ケン・スレイマン 神父

                             Father Kenneth G Sleyman 

 

 〔そのとき、〕使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったこと

や教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所

へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇

もなかったからである。そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ

行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべ

ての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。イエスは舟から上がり、大

勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始め

られた。

 

 

 


 

   年間第15主日 2018年7月15日

   マタイによる福音書第6章7~13節

 

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     司式 朴 宰奭 神父  

 

 〔そのとき、イエスは〕十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。

その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋

も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはな

らない」と命じられた。また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、そ

の土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入

れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼

らへの証として足の裏の埃を払い落としなさい。」十二人は出かけて行って、悔い改

めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人を

いやした。

 

 

 


 

   年間第14主日 2018年7月8日

   マルコによる福音書第6章1~6節

 

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    司式 近藤 光彦 神父 

 

 〔そのとき、〕イエスは故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日にな

ったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言っ

た。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、

その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリ

アの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我

々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエ

スは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言わ

れた。そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も

奇跡を行うことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた。 

 それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。

 

 

 


   

   年間第13主日 2018年7月1日

   マルコによる福音書第5章21~43節

 

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    司式 加藤 鐵男 神父   

 

 〔そのとき、〕イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそば

に集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。会堂長の一人でヤイロという名の

人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。「わたしの幼い娘

が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、

娘は助かり、生きるでしょう。」そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。

大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。 

 さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかってひどく

苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであ

った。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。

「この方の服に出も触れればいやしていただける」と思ったからである。すると、す

ぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。イエスは、自分の内から

力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだ

れか」と言われた。そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているの

がお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるので

すか。」しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。女

は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、す

べてをありのまま話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救っ

た。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」イエス

がまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡く

なりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」イエスはその話をそばで

聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。そして、ペト

ロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにな

らなかった。一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いで

いるのを見て、家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子どもは死

んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは

皆を外に出し、子どもの両親と三人の弟子だけを連れて、子どものいる所へ入って行

かれた。そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女

よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。少女はすぐに起き上が

って、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚き

のあまり我を忘れた。イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、

また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。

 

 

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   洗礼者聖ヨハネの誕生 2018年6月24日

   ルカによる福音書第1章57~66、80節

 

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                          司式 ケン・スレイマン 神父  

 

 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。近所の人々や親類は主がエリサ

ベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。八日目に、その子に割礼を施すために

来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いい

え、名はヨハネとしなければなりません」と言った。しかし人々は、「あなたの親類

には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、父親に、「この子に何と名を

付けたいか」と手振りで尋ねた。父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハ

ネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほ

どけ、神を賛美し始めた。近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、

ユダヤの山里中で話題になった。聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この

子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。 

 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。

 

 


   

   年間第11主日 2018年6月17日

   マルコによる福音書第4章26~34節

 

 

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    司式 加藤 鐵男 神父  

  

 〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「神の国は次のようなものである。人が

土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうし

てそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、

次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫

の時が来たからである。」

 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そ

うか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よ

りも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣

を作れるほど大きな枝を張る。」 

 イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。

たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説

明された。 

 

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   年間第10主日 2018年6月10日

   マルコによる福音書第3章20~35節

 

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    司式 近藤 光彦 神父 

 

 〔そのとき、〕イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事を

する暇もないほどであっあ。身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。

「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。エルサレムから下って

来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、

「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた、そこで、イエスは彼らを呼

び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。

国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たな

い。同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。また、

まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い

取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。はっきり言ってお

く。人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒瀆

する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」イエスがこう言われたのは、

「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が行っていたからである。 

 イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。大勢の人が、

イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜し

ておられます」と知らされると、イエスは「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」

と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、

わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」

 

 


   

   キリストの聖体 2018年6月3日

   マルコによる福音書第14章12~16、22~26節

 

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     司式 朴 宰奭 神父 

 

 除酵祭の第1日、すなわち過越の子羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食

をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。そこで、イエスは

のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水が

めを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。その人が入って行く家の主

人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部

屋はどこか」と言っています。』すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せ

てくれるから、そこに、わたしたちのために準備をしておきなさい。」弟子たちは出

かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備し

た。一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを

裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい、これは私の体である。」また、盃

を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。

そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約

の血である。はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から

作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」一同は賛美の歌をうたってから、オ

リーブ山へ出かけた。

 


   

   三位一体の主日 2018年5月27日

   マタイによる福音書第28章16~20節

 

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 司式 ケン・スレイマン 神父  

  

 〔そのとき、〕十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山

に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、

近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あ

なたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名

によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。

わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 

 

 


   

 聖霊降臨の主日 2018年5月20日

   ヨハネによる福音書第15章26~27節、16章12節~15節

 

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                                                                    司式 朴 宰奭 神父

                   

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしが父のもとからあなたがた

に遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、そ

の方がわたしについて証しをなさるはずである。あなたがたも、初めからわたしと一

緒にいたのだから、証しをするのである。 

 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。

しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごと

く悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これか

ら起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わ

たしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはす

べて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、

あなたがたに告げる』と言ったのである。」

 

 


 

   主の昇天 2018年5月13日

   マルコによる福音書第16章15~20節

 

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    司式 近藤 光彦 神父 

 

 

 〔そのとき、イエスは十一人の弟子に現れて、〕言われた。「全世界に行って、す

べての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、

信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわ

たしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を

飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」

 

 主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。一方、

弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語

る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。

 

 


   

   復活節第6主日 2018年5月6日

   ヨハネによる福音書第15章9~17節

 

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    司式 加藤 鐵男 神父   

 

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「父がわたしを愛されたように、わ

たしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守

り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたし

の愛にとどまっていることになる。 

 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの

喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合い

なさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大

きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。

もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らない

からである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがた

に知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたが

たを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、

わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがた

を任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」 

 

 

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   復活節第6主日 2018年4月29日

   ヨハネによる福音書第15章1~8節

 

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    司式 加藤 鐵男 神父  

  

  〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしはまことのぶどうの木、

わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父

が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入

れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わた

しにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木

につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、

わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あ

なたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっ

ていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできない

からである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて

枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あなたがたがわた

しにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むもの

を何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結び、わた

の弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。」

 

 

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   復活節第4主日 2018年4月22日

   ヨハネによる福音書第10章11~18節

 

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    司式 ケン・スレイマン 神父  

  

 

   〔そのとき、イエスは言われた。〕「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊

のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見

ると、羊を置き去りにして逃げる。――  狼は羊を奪い、また追い散らす。―― 彼は

雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わ

たしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っ

ておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。

わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければなら

ない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一

つの群れになる。わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたし

を愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分で

それを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。こ

れは、わたしが父から受けた掟である。」

 

 


   

復活節第3主日 2018年4月15日

   ルカによる福音書第24章35~48節

 

 

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    司式 加藤 鐵男 神父  

 

 〔そのとき、エルサレムに戻った二人の弟子は、〕道で起こったことや、パンを裂

いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。

 こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがた

に平和があるように」と言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思っ

た。そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを

起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。

亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」こ

う言って、イエスは手と足をお見せになった。彼らが喜びのあまりまだ信じられず、

不思議がっているので、イエスは「ここに何か食べ物があるか」と言われた。そこで、

焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。

 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と予言者の書と詩編に書いてあ

る事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っ

ておいたことである。」そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開い

て、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に使者の

中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国

の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの

証人となる。」

 

 

 


  

      復活節第2主日(神のいつくしみの主日)  2018年4月8日

     ヨハネによる福音書20章19~31節

 

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      司式 近藤 光彦 神父 

  

 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たち

いる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなた

平和があるよに」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子

たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるよう

に。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言

てから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あ

がたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、

赦されないまま残る。」

 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと

にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、

マスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、ま

た、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」て八日

の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵かけてあ

ったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われ

た。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見な

さい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではな

く、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言

った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じ

る人は、幸いである。」 このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしを

なさったが、それはこ物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あな

たがたが、イエスは神のメシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの

名により命を受けるためである。

 

 


   

   復活の主日 2018年4月1日

   ヨハネによる福音書第20章1~9節

 

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    司式 加藤 鐵男 神父  

 

 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、

墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イ

エスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が

墓から取り去られました。どこに置かれているのかわたしたちには分かりません。」

そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓に行った。二人は一緒に走った

が、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて

中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、

シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭

を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。そ

れから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず

死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解して

いなかったのである。 

 

 

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   復活の聖なる徹夜祭 2018年3月31日

   使徒パウロのローマの教会への手紙 第6章3~11節

 

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    司式 近藤 光彦 神父 

 

 〔皆さん、〕あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために

洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わ

たしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。

それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたし

たちも新しい命に生きるためなのです。もし、わたしたちがキリストと一体になって

その死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。わたしたちの

古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、

もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放され

ています。わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きること

にもなると信じます。そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬこ

とがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。キリストが死な

れたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して

生きておられるのです。このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、

キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。 

 

 


聖金曜日「主の受難」 2018年3月30日

 

                                                                                       司式 加藤 鐵男 神父

 

 

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 聖木曜日「主の晩さんの夕べのミサ」 2018年3月29日

   ヨハネによる福音書第13章1~15節

 

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    司式 加藤 鐵男 神父 

 

  過越し際の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来

たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときで

あった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱か

せていた。イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が

神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上が

って上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで

弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。

 シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは「主よ、あなたがわたしの足を洗って

くださるのですか」と言った。イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あな

たには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。ペトロが「わたしの足

など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗

わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。そこ

でシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」イエスは言われた。

「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清い

だが、皆が清いわけではない。」イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれ

あるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。 

 さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言

われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。あなたがたは、わたしを『先

生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ところ

で、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互

いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたが

たもするようにと、模範を示したのである。」 

 

 

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 受難の主日(枝の主日) 2018年3月25日

   マルコによる福音書第11章1~10節

 

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    司式 近藤 光彦 神父   

 

 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアに

さしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こう

の村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないで

あるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。もし、だれかが、『なぜ、そ

んなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しにな

ります』と言いなさい。」二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつない

であるのを見つけたので、それをほどいた。すると、そこに居合わせたある人々が、

「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。二人が、イエスのいわれたとおり

話すと、許してくれた。二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上

に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。多くの人が自分の服を道に

敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。そして、

前を行く者も後に従う者も叫んだ。

 「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。

 我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。 

 いと高きところにホサナ。」

 

 

 


   

 四旬節第5主日 2018年3月18日

   ヨハネによる福音書第12章20~33節

 

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    司式 加藤 鐵男 神父  

 

 さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギ

リシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お

願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。フィリポは行ってアンデレ

に話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。イエスはこうお答えになっ

た。「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ち

て死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛

する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至

る。わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところ

に、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を

大切にしてくださる。今、私は心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から

救ってください」と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父

よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に

栄光を現した。再び栄光を現そう。」そばにいた群衆は、これを聞いて「雷が鳴った」

と言い、ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。イエスは答え

て言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。

今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。わたしは地上から

上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」イエスは、御自分がど

のような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。  

 

 

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   四旬節第4主日 2018年3月11日

   ヨハネによる福音書第3章14~21節

 

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    司式 近藤 光彦 神父 

 

 〔そのとき、イエスはニコデモに言われた。〕「モーセが荒れ野で蛇を上げたよう

に、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の

命を得るためである。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独

り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣

わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子

を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じて

いないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方

を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが

明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は

光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」 

 

 


   

 四旬節第3主日 2018年3月4日

   ヨハネによる福音書第2章13~25節

 

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    司式 加藤 鐵男 神父  

 

 ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、

神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧

になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金を

まき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから

運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」弟子たちは、「あなたの

家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。ユダヤ人たちは

イエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見

せるつもりか」と言った。イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日

で建て直して見せる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年も

かかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、

御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たち

は、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。 

 イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの

人がイエスの名を信じた。しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、

すべての人のことを知っておられ、人間についてだれからも証ししてもらう必要がな

かったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたので

ある。 

 

 

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