主日のメッセージ

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復活節第6主日 2017年5月21日

   ヨハネによる福音書第14章15~21節

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    司式 加藤 鐵男 神父

 

  〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたは、わたしを愛してい

るならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わし

て、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。

世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しか

し、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、

あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかな

い。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくな

るが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きるこ

とになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わ

たしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。わたしの掟を受け入れ、

それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛さ

れる。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」 

 

 

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復活節第5主日 2017年5月14日

   ヨハネによる福音書第14章1~12節

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    司式 近藤 光彦 神父

 

  〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「心を騒がせるな。神を信じなさい。

そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしな

ければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなた

がたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。

こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くの

か、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれる

のか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょう

か。」イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通

らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知ってい

るなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既

に父を見ている。」フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうす

れば満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒

にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、

『わたしに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたし

の内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から

話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのであ

る。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じな

さい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。はっきり言ってお

く。わたしを信じるものは、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うよ

うになる。わたしが父のもとへ行くからである。」

 

 

 


   

復活節第4主日 2017年5月7日

   ヨハネによる福音書第10章1~10節

 

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    司式 加藤 鐵男 神父 

 

 〔そのとき、イエスは言われた。〕「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、

門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入

るものが羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼

いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行

く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて

行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」イエスは、このたと

えをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。 

 イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。わたしよ

り前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かな

かった。わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入

りして牧草を見つける。盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするため

にほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるため

である。」 

 

 

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復活節第4主日ミサ説教要旨

 

                            加藤 鐵男 神父

 

 イエスは、「わたしは羊の門である」と言われます。わたしを通って入る者は救わ

れるとも言われます。つまり、自分を通らなければ救いはないと言うのです。

 これは、私たちの立場から言えば、キリストに従うということを意味します。強盗

や盗人のように、正規の門ではなく囲いを乗り越えて入ろうとしてはいけないと言わ

れているのです。

 では、従うとはどういうことでしょうか。まず、自分をしっかりと見つめ直し清算

しなければなりません。今まで自分が良しとしていたことが、本当に正しいのか間違

ないのかと反芻を繰り返し、そこから得たあらゆる事柄についての結論を導きだし、

その上で心を空にして、イエス・キリストを自分の中に受け入れて、正規の門から入

ることが大事な事です。

 そうすれば、私たちが真の命を受け、しかも豊かに受けると言われます。一人ひと

りが、真の命を受けるなら、やがて、それが社会に充満し平和な世の中になるのでは

ないでしょうか。

 

 


   

復活節第3主日 2017年4月30日

   ルカによる福音書第24章13~35節

 

 

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    司式 加藤 鐵男 神父 

 

 この日、〔すなわち週の初めの日、〕二人の弟子が、エルサレムから六十スタディ

オン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合

っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始

められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエス

は、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は

暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパと言う人が答えた。「エルサレムに

滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったの

ですか。」イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレ

のイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言

者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き

渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解

放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日

で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人

たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使た

ちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓

へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」

そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言った

ことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るは

ずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体に

わたり、御自分について書かれていることを説明された。

 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二

人が、「一緒にお泊りください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いています

から」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一

緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いて

お渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えな

くなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、

わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発し

て、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、

シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださっ

たときにイエスだと分かった次第を話した。 

 

 

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復活節第2主日 2017年4月23日

   ヨハネによる福音書第20章19~31節

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    司式 近藤 光彦 神父

 

 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちの

いる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに

平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹をお見せになった。弟子た

ちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。

父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言って

から、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなた

がたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦さ

れないまま残る。」

 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一

緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、

トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、ま

た、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日

の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあ

ったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われ

た。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見な

さい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではな

く、信じるものになりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と

言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信

じる人は、幸いである。」 

 このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの

書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の

子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるため

である。 

 

 


   

復活の主日 2017年4月16日

   ヨハネによる福音書第20章1~9節

 

 

 

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    司式 加藤 鐵男 神父  

 

 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、

墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イ

エスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が

墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」

そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走った

が、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて

中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、

シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭

を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。そ

れから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず

死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解して

なかったのである。 

 

 

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聖金曜日「主の受難」 2017年4月14日

 

                                                                                       司式 加藤 鐵男 神父

 

 

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聖木曜日「主の晩さんの夕べのミサ」 2017年4月13日

   ヨハネによる福音書第13章1~15節

 

 

 

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    司式 加藤 鐵男 神父 

 

  過越し際の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来

たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときで

あった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱か

せていた。イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が

神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上が

って上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで

弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。

 シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは「主よ、あなたがわたしの足を洗って

くださるのですか」と言った。イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あな

たには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。ペトロが「わたしの足

など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗

わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。そこ

でシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」イエスは言われた。

「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清い

だが、皆が清いわけではない。」イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれ

あるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。 

 さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言

われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。あなたがたは、わたしを『先

生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ところ

で、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互

いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたが

たもするようにと、模範を示したのである。」

 

 

 

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受難の主日(枝の主日)(2017年4月9日)

     マタイによる福音書21章1~11節

 

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                       司式 近藤 光彦   神父 

  

 〔イエスの〕一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たと

き、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさ

い。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほ

どいて、わたしのところに引いて来なさい。もし、だれかが何か言ったら、『主がお

入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」それは、預言者を通して言わ

れていたことが実現するためであった。

「シオンの娘に告げよ。

『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、

 柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」

弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、ろばと子ろばを引いて来て、そ

の上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。大勢の群衆が自分の服を道に

敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。そして群衆は、イエスの前を

行く者も後に従う者も叫んだ。

「ダビデの子にホサナ。

 主の名によって来られる方に、祝福があるように。

 いと高きところにホサナ。」

イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」

と言って騒いだ。そこで群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエ

スだ」と言った。 

 

 


   

四旬節第5主日 2017年4月2日

   ヨハネによる福音書第11章3~7、17、20~27、33b~45節

 

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    司式 加藤 鐵男 神父 

 

 〔そのとき、ラザロの〕姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの

愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。イエスは、それを聞いて言われた。

「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによっ

て栄光を受けるのである。」イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。

ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。それから、弟子た

ちに言われた。「もう一度、ユダヤに行こう。」

 さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。

マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座ってい

た。マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの

兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神

はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」イエスが、「あなたの兄

弟は復活する」と言われると、マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは

存じております」と言った。イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。

わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決し

て死ぬことはない。このことを信じるか。」マルタは言った。「はい、主よ、あなた

が世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」

 〔イエスは〕心に憤りを覚え、興奮して、言われた。「どこに葬ったのか。」彼ら

は、「主よ、来て、ご覧ください」と言った。イエスは涙を流された。ユダヤ人たち

は、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。しかし、中

には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」

と言う者もいた。

 イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれてい

た。イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マル

タが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。イエスは、

「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。

人々が、石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを

聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わ

たしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。

あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」こう言っ

てから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手

と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほ

どいてやって、行かせなさい」と言われた。 

 マリアのところに来て、イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエ

スを信じた。 

 

 

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四旬節第5主日のミサ説教要旨 

                         加藤 鐵男 神父  

 

 人には、他人には知られたくない負の部分や、劣る部分、また、誘いに負けそうに

なりやすい部分や様々な欲望などを抱えて生きています。できることならそっとして

おいてと願いたくなる部分です。しかし、仕事上や生活において交わりを持たなけれ

ば生きていくことはできず、自ずと自分をさらけ出さずにはいられません。従って、

あの人は、こんな人間だなということを知られるのは、時間の問題になってきます。

いくら自分のこんな部分は嫌だから隠しておこうと思っても、それは不可能です。隠

そうと思えば思うほど、そんな部分が、ますます嫌いになり、いっそのこと封印して

おこうと思っても不思議ではありません。

 しかし、自分のこの部分だけで生きて行こうと考えても、それはできません。良い

部分、悪い部分、嫌いな部分をも含めて、一人の自分なのです。ですから、すべてを

オープンにして、「こんな自分ですけれども、どうぞよろしくお願いします」という

のが、イエス・キリストを信じるわたしたちの生き方ではないかと思うのです。そし

て、自分のすべてをイエスに委ね、あなたの生きた道をわたしにも歩かせてください

と願うのです。そうすれば、きっと御父と御子であるイエス・キリストからの恵みに

よって、わたしたちは、少しずつ変えられていくことでしょう。今まで、自分の中で

封印していた部分、つまり機能せず死んでいた部分も蘇り、新たな自分の部分として

生き生きとしたものになり、そのことを他の人が感じて認めて下さるなら、きっと良

い影響を与えるはずです。

 こんな歳になって、そんなことは無理だと考えるのではなく、いつでも人間は変わ

る可能性があるのだと信じることから始めましょう。なぜなら、主イエス・キリスト

は、十字架に掛けられ死んで三日目に復活なさったからです。 

 自分のこんな部分は嫌だと思うなら、いつでも死んで復活すればよいのです。そん

なわたしたち人間に、主はいつでも憐れみと大きな愛をもって、手を広げて待ってい

て下さいます。

 

 


 

 

四旬節第4主日(2017年3月26日)

   ヨハネによる福音書第9章1、6~9、13~17、34~38節

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    司式 近藤 光彦 神父

  

 〔そのとき、〕イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。

イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、「シ

ロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。

そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。近所の人々や、彼

が物乞いをしていたのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人

ではないか」と言った。「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけ

だ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。

 人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。イエ

スが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。そこで、ファリサ

イ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、

わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになった

のです。」ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神の

もとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなし

るしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分

かれた。そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたというこ

とだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と

言った。

 彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い

返し、彼を外に追い出した。

  イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あ

なたは人の子を信じるか」と言われた。彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな

人ですか。その方を信じたいのですが。」イエスは言われた。「あなたは、もうその

人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」彼〔は、〕「主よ、信じます」

と言って、ひざまず〔いた。〕 

 

 


   

四旬節第3主日 2017年3月19日

   ヨハネによる福音書第4章5~15、19b~26、39a、40~42節

 

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    司式 加藤 鐵男 神父 

 

 〔そのとき、イエスは、〕ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカ

ルというサマリアの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲

れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。

 サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。

弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。すると、サマリアの女は、「ユダヤ

人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」

と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。イエスは答えて言われ

た。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言

ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあ

なたに生きた水を与えたことであろう。」女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお

持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのです

か。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわた

したちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」イ

エスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与

える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠

の命に至る水がわき出る。」女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、こ

こにくみに来なくてもいいように、その水をください。あなたは預言者だとお見受け

します。わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場

所はエルサレムにあると言っています。」イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信

じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来

る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼

拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝をする者たちが、

霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのよ

うに礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、

霊と真理をもって礼拝しなければならない。」女が言った。「わたしは、キリストと

呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたち

に一切のことを知らせてくださいます。」イエスは言われた。「それは、あなたと話

をしているこのわたしである。」 

 さて、その町の多くのサマリア人は、イエスを信じた。そこで、このサマリア人た

ちはイエスのもとにやって来て、自分たちのところにとどまるようにと頼んだ。イエ

スは、二日間そこに滞在された。そして、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて

信じた。彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれた

からではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分か

ったからです。」

 

  

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四旬節第3主日のミサ説教要旨 

                         加藤 鐵男 神父  

 

  ある日のこと、自分自身が、人目を避け、交わりを断って生きている人間に対し、

優しいまなざしと口調で話しかけられたらどうでしょうか。しかも、話しかけてくれ

た人が、威厳を持っていたらどうでしょうか。その姿に圧倒され、自分の今までの決

て誉められはしない生き方を言い当てられたらどうでしょうか。

サマリアの女は、過去を言い当てられ畏敬の念に打たれました。イエスの話に自分が

変えられていくことを感じました。渇くことのない生きた水を与えるというイエスの

言葉は、知らないものを礼拝していたものが、霊と真理をもって御父を礼拝するよう

になるという時の訪れを告げるものでした。

サマリアの女は、イエスによって自分が変えられたように、他の人も変えられてもら

たいとの願いで人々にイエスの話をしますが、その必要はなくなりました。自分た

が、イエスの話を聞き信じ、理解したからです。この方こそ本当の世の救い主だと

分かったからです。 

現代に生きる私たちは、多くの情報の渦の中に取り込まれ、ともすると自分を見失い

がちですが、信じることのできること自分の全てを掛けてでも従っていけるものにめ

ぐり合った幸せに感謝し、変えられ明るく前を見て歩ける生き方を周りの人々にも示

すことができるよう願っていきたいものです。

 

 

 


 

 

四旬節第2主日(2017年3月12日)

   マタイによる福音書第17章1~9節

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    司式 近藤 光彦 神父

 

 〔そのとき、〕イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、

高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服

は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。

ペテロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すば

らしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つ

はあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペテロがこ

う話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する

子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。弟子たちは

これを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。

「起きなさい。恐れることはない。」彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだ

れもいなかった。 

 一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見た

ことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。

 

 

 


 

 

四旬節第1主日(2017年3月5日)

   マタイによる福音書第4章1~11節

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    司式 佐藤謙一 神父

     加藤鐡男 神父

 

 〔そのとき、〕イエスは悪魔から誘惑を受けるため、〝霊〟に導かれて荒れ野に行

かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑す

る者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じた

らどうだ。」イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神

の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」次に、悪魔はイエスを聖な

る都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、言った。「神の子なら、飛び降りた

らどうだ。 

 『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのな

いように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」イエスは、「『あなた

の神である主を試してはならない』とも書いてある。」と言われた。更に、悪魔はイ

エスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「も

し、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。すると、イエ

スは言われた。「退けサタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書

いてある。」そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。

 

 

 


 

 

 

灰の水曜日(2017年3月1日)

     マタイによる福音書6章1~6節、16~18節

 

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           司式 加藤 鐵男 神父

 

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「見てもらおうとして、人の前で

行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いを

ただけないことになる。

 だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や

街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりなたが

たに言っておく。彼らは既に報いを受けている。施しをするときは、右手のするこ

とを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせいためである。そ

うすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてださる。

 祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、

に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。

らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の屋に入

って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうれば、隠れ

たことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

 断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。

偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っ

ておく。彼らは既に報いを受けている。あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔

を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあ

なたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなた

の父が報いてくださる。」

 

 

 

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