『待降節によせて』

 

    主任司祭 加藤鐵男神父 

 

 山鼻教会の前庭の見事だった紅葉も終わり、イチョウの木の透けるような黄色い葉

も落ちて、昨年同様今年も大量のイチョウの実が枝もたわわに実りました。一晩の風

雨で一気に木の周りは、足の踏み場もないほどに銀杏の絨毯になりました。もったい

ないのと道路の汚れ匂いを、考慮して桶二つ分も拾いました。それからが大変です。

二日がかりでその大量の実の皮むきに従事されることになってしまいました。ミニバ

ザー出品に向けての準備です。今年の益金は、「新司教館」への献金に充てられます。

 この作業をしながら十年前の神学校時代を思い出しました。毎年、皮膚のかぶれに

悩まされながらずっと銀杏係をやったこと、多い年には益金のほとんどを銀杏が稼ぎ

出したこと、これを買って下さる大勢の人々との触れ合いを通して、神学生を応援し

てくださったことなどが、今は懐かしい思い出となって心に浮かんできます。

 昨年は、神父が作った銀杏ということで、半分は義理だったでしょうが、数か所へ

の施設への献金ということに賛同してくださった方々の好意で完売しました。

 弱い立場にあって、そこから抜け出そうにも声を出すことも出来ない人たち、もが

いてもあがいても、同じ罪をくり返してしまう私たち、そんな弱い人間がこの地上に

は大勢存在しています。そのような私たちと共に歩み続けてくださる神の存在は、私

たちにとって大きな希望になっています。どんな人をも見捨てることなく、目をかけ

て下さる神に感謝です。

 神がそのようにしてくださるから、私たちも弱さを抱えながら生きて行くことがで

きるのです。

 すべての人たちに、大きな愛と憐れみをかけてくださる御父の恵みを、与えて下さ

るためにこの世においで下さった御子イエス・キリスト。その御子の降誕を祝う私た

ち一人ひとりが、大いなる贈り物を携えてきた「東方の三博士」にならって、自分し

かできない特別の贈り物をささげなければなりません。それは、高価なものではあり

ません。同じ弱い立場にある者同士が、自分に出来る少しの親切心、やさしさ、謙虚

さ、愛おしさを分け与えることです。その日の食物を分け与えられた貧しい者が、そ

れを自分たちだけで食するのではなく、同じ貧しい者にも更に分け与えるということ

を耳にしたことがあります。 

 教皇フランシスコは、今年から「貧しい人のための世界祈願日」を設け、信者の良

心に呼びかけ、貧しい人々や苦しんでいる人々の叫び声に対して敏感になるように促

されました。私たち一人ひとりが、すべての人を救うためにこの世に来られた御子に

倣い、降誕節を前に私たちの心が、弱い立場の人たちに向けられますよう共に願って

まいりましょう。 

   山鼻教会機関誌「おとずれ」’17/12月号より

 


 

『私のガリラヤの家』

 

    主任司祭 加藤鐵男神父 

 

 九回目の同期会が、さいたま教区の司祭の当番で行われた。海外で留学していた同

期生が戻ったので初めて七人全員が揃った。神学院一年目の養成は、栃木県那須での

共同生活の習得だった。学期毎の組み替えで、三人での組と二人の組が三組での共同

生活を一年間行い人間関係のあり方を学ぶというものだった。

 那須のその場所は、社会福祉法人の一角にあり、その利用者との交流を含めた共同

作業が一週間に三回あった。一年間での短い期間だったが、利用者は温かく私たちを

受け入れてくれた。私と同じ年齢の人が、まるで幼児のような純な心を持っており、

私たちを友達のように振る舞い、分け隔て無くつきあってくれた。誰彼と無く、最初

にまず名前を聞かれた。彼らの名前の記憶力は抜群だった。あっという間に全員の名

前を覚えて、私たちを神学生とは呼ばずに、一人一人名前で呼んでくれた。それは、

こちらが驚くほどに秀出ていた。その他にも、モンゴルの発声法とそっくりに喉を鳴

らす人など、様々な得意技の持ち主が大勢いた。

 その場所を最終日に訪ねることになっていた。

 今回のメインは、日光東照宮の観光だった。那須に滞在中に一度有志で訪ねた以来

であるから十五年ぶりだった。

 現在修復中の陽明門は、金箔が張り替えられて金色に輝きまぶしいほどだった。有

名な「眠り猫」の後方の坂道が家康の墓地へと続く道だった。今は立派な石段が整備

され傾斜はきついが昇りやすかった。これが今生での見納めかと思うと感慨もひとし

おだった。

 その晩の宿は、元修道院の跡で温泉つきの、さいたま教区が管理する「マリアの家」

と呼ばれるところだった。元居酒屋経営の夫婦が、施設運営を任せられており、料理

もとても美味しかった。最終日の朝、ガリラヤの家に行ってみると建物は撤去されて

更地になっていた。寂しさを感じながらも、思い出話に花が咲いた。 

 私たちが整備を手伝った「憩いの広場」に行って記念のプレートを眺めていると一

人の男性が走ってきて、懐かしそうに私たち一人一人の名前を呼んでくれた。十五年

振りだというのに誰一人として間違いなく名前を呼んでくれた。私たちの方が彼の名

前を忘れていたのにも関わらずである。嬉しかった。そして、私たちの行ってきたこ

とに間違いがなかったことが証明された瞬間だった。利用者の彼も年を取ってはいた

が、その顔を忘れてはいなかった。名前を尋ねて、「ああ、そうだ」とうなずいた。

どんな処でもどんな時でも、その場、その時を真剣に生きなければならないことを、

その彼から教わったことに嬉しさと感謝の気持ちが私の中にわき上がるのを感じた。 

 

   山鼻教会機関誌「おとずれ」’17/11月号より

 


 

『見守ってくれた山』

 

    主任司祭 加藤鐵男神父 

 

 今年の神学生合宿が、八月中旬に開催されました。参加者は、二人の神学生と候補

者一人、それに司教様と神父三人でした。毎年山登りが恒例になっていますが、今年

は道東の雌阿寒岳に登ることになっていました。私にとって、十五年振りの登山にな

りました。かつて、年間三十五回も登った山ですから、一歩一歩足を運ぶ毎に、登山

道が懐かしく記憶に蘇ってきます。しかしながら、年齢には勝てず少し登っては小休

止の連続となりました。

 結婚して妻と二人、最初に登ったのもこの山でした。最初の妊娠を告げられたのも

この山でした。六月頃の薄曇りの日でしたが、山頂は風が強く七合目くらいまで降り

て、お握りを食べた記憶があります。また、妻の病気が分かって入院する前の最後に

登った山もここでした。さすがに体力の落ちていた妻は頂上までは無理ということに

なって、六合目のちょっとした開けた場所で小学高学年の娘と低学年の息子の四人で、

お弁当を取ることにしました。持って行ったコンロでインスタントラーメンをつくり、

妻手作りの握り飯を頬張り、デザートはタッパーに詰め込んでいったメロンでした。

これが、家族最後の小旅行になってしまいました。この開けた場所は、今回の登山で

も、忘れることなく記憶に残っており、すぐに特定できました。皆には知られないよ

うに、そっと手を合わせて祈ってきました。妻には、今は神父の仕事をしていること

を報告し、この山と共に見守ってくれるようにお願いしました。

 山登りには、その人の性格、人となりが顕わになるように思える時があります。い

くら若い人でも、体力がある人でも山登りは苦しいものです。また、その時の体調に

も左右され初心者向けの山でも侮れません。一歩一歩確実に足を運ばなければ、山頂

に近づくことはできません。皆と歩調を合わせることも大変なことです。団体登山で

は、最も遅い人に歩調を合わせることになっています。でも、自分は体力に自信があ

るからとか、皆は遅いとか、ついつい思いがちになり、体力の消耗とともに不満が顔

に出て来ることになってきます。でも、そこを押さえて皆に同調させることが求めら

れます。登山は、その人となりが、確かめられる場でもあるのです。

 教会運営においては、同じ信仰を持つ共同体であっても様々な考えを持っている方

々がおられます。突出した意見をいきなりそれは、ダメだと排除するのでは無く、ど

ういう意図なのかを述べさせ、理解し合いながら導いていくことが大事です。 

 山登りは、そのことを通して、私たちを大いに成長させてくれます。どうぞ私たち

を見守って下さいとお願いすると共に、丈夫な体を創ってくれた創造主に感謝するだ

けです。 

   山鼻教会機関誌「おとずれ」’17/10月号より

 


 

『日本のゴッホと呼ばれた人』

 

    主任司祭 加藤鐵男神父 

 

 かつて「日本のゴッホ」と呼ばれる人がいた、「山下清」である。彼の作風が、パ

リ時代のゴッホの作風に似ているところからマスコミが、そうはやし立て、その後定

着したようである。

 その「山下清展」が帯広道立美術館で七月から九月の初めまで開催されている。彼

の作品は、劣化が進みもう本物を見る機会はないかもしれないと開催直後に出かけて

いった。少年期の頃の虫を題材にした子供らしい作品から、徐々に緻密な貼り絵の作

風になるにつれ、どんどん作品にのみ込まれるように順を追って見ていった。途中で

あの有名な「長岡の花火」では、まるで釘付けになったかのように足がとまり食い入

るように眺めて居る自分がいた。漆黒の夜空にあがる花火は「こより」で表現されて

いたし、何より花火を楽しむ群衆の一人ひとりを、生き生きと描き出し、対岸にいる

群衆をも一人ひとり、小さく裂いた紙を貼り付け表現した作品には、ただただ、感嘆

を覚えるのみだった。この作品のコーナーに大きな文字で彼のことば、「みんなが爆

弾をつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたらきっと戦争なんて、起きなか

ったんだな」がメッセージとして貼られていた。まさに、同感と頷いてきた。

 山下清は、後年ヨーロッパに出かけ水彩画も描いている。その中の作品に「パリの

エッフェル塔」というのがある。

 画面のいっぱいにダイナミックにエッフェル塔が描かれ、灰色の空に雲がたなびき、

下部には車や人間が楽しそうに歩いている。見ているだけで心が晴れやかになる絵だ。

気に入って、もちろん複製画であるが二か月分の食費代をあてて購入した。部屋に掛

けてあるこの絵を毎日楽しみに眺めている。山下清は、放浪の画家として知られてい

るが、取材に現地に行くが、すべて頭の中に入っていて、描くのは自宅だった。一度

描いたものを、後年、もう一度描いても寸分違わなかったそうである。 

 私たちキリスト者は、どうであろうか?日曜日毎にミサに与りキリストの話を聞き、

その他、キリストの話に触れ実践するように促され、行いを倣うように教えられてい

る。そんな話は何度も聞いて知っていますと言わんばかりなのに、中々実践出来ない

のが、私たち信者ではなかろうか。これは、もう初心に戻るよりは仕方がない。私た

ちが、受洗したときは、心は燃えていたはずである。素直に純粋にキリストに倣いた

い、従いたいと思ったはずである。それが、いつの間にか共同体にのみ込まれ、埋没

してしまった自分がいる。もう一度、その心を奮い立たせ、原動力として、自分の頭

に確固たるゆるぎないイメージを植え付けて、どんな誘いにも負けない、確たる信仰

を身に着け、皆で歩き続けたいものである。 

 

   山鼻教会機関誌「おとずれ」’17/9月号より

 


 

『小さなひとびと』

 

    主任司祭 加藤鐵男神父

 

 札幌大通り公園の西九丁目には有島武郎の文学碑があり、小説「小さき者よ」の有

名な一節が刻まれています。妻を亡くした武郎が、幼き三人の子供たちに綴った実話

小説です。

碑文に刻まれているのは次の句です。

「小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人

の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に

道は開ける。

行け。勇んで。小さき者よ。」

 これを教会に当てはめて考えると著者は御父とイエス・キリスト、子供たちは信者

ある。いつも、天から聖霊を送り私たちを見守り、導いて下さり、「何も心配はい

ない。いつもわたしは、あなたがたと共にいる」と言ってくださる神。そんな神様

に向かって、いつも感謝をし、自分のできることをご奉仕して下さる大勢の方々が教

会にはいらっしゃいます。私が、五時に起きて扉の解錠をしようと階下に下りるとす

でに教会の建物の回りの石の間の草取りをしゃがんで一心にしていて下さる方が居り

ます。昨年一年間は、司祭館の食堂で料理のご奉仕をしてくださる方々がおりました。

今年の春からは、毎週のように料理を届けて下さる方々が居ります。毎週聖堂やホー

ル等のお掃除に通ってくださる方々がおります。「週のお知らせ」を毎週作って下さ

る方々が居ります。オルガン伴奏のご奉仕をして下さる方々がいます。事務を担当し

て下さる方々、営繕に尽力して下さる方々、典礼奉仕をして下さる方々、一人暮らし

の人たちに、交わる機会を作るご奉仕して下さる方々、花壇の手入れをこまめにして

きれいな花を咲かせて下さる方々、教会の運営を束ねてご奉仕して下さる方々、行事

の度に美味しい昼食を用意してくださる方々、今は少なくなった子供たちのお世話を

して下さる方々、これらの方々のご奉仕によって教会は支えられています。

 お一人おひとりは、社会に名を連ねるような方々ばかりではありませんが、真っ正

直に人生の大半をキリストの精神を心に刻んで生き続けてきた人たちです。そのよう

な意味からすれば、「小さな人々」と言えるのでしょう。 

 いま、世界中で行われるようになっている行事にしても、元々は名も無い一人の人

が始めたことが起源となっていることが多いのです。「母の日」も米国の女性が亡く

なった母の記念日に好きだったカーネーションを捧げたことから始まりました。私た

ち「小さな人々」と呼ばれる存在もやがて、大きな力となって世界中を動かすことも

あるのだということを信じて、小さな善意をこつこつと教会や社会の中で弛むこと無

く行う私たちでありますように、主に願いながら日々歩んでいきたいものです。 

 

   山鼻教会機関誌「おとずれ」’17/8月号より

 


 

『プチ旅行』

 

    主任司祭 加藤鐵男神父 

 

 その日は、久しぶりの一日、何もない休日だった。数年前から気になっていた美術

館があった。今年こそ尋ねてみようと三週間前からネットで調べ、無期限の会員の申

し込みをして、いつでも行けるように準備万端整えていた。

 当日は、先週のぐずついた天候とはうってかわって、爽やかな青空だった。朝ミサ

を終えて朝食もそこそこに、カメラをかついで車を走らせた。道央道を三笠で下り、

桂沢湖を経由、芦別の三段の滝を見て富良野への道々を走った。

 約三時間で念願だった後藤純男美術館に着いた。月曜日にもかかわらず駐車場は、

私の車を止めると満杯だった。

 先に入った六人ほどのグループが大きな声でしゃべり続け、少々うんざりしながら

も間を置いて、鑑賞した。やがて、そのおしゃべりも気にならないほどに絵に引きつ

けられていった。広い部屋の端から端まである一枚の絵、部屋の壁面の半分ほどもあ

る桜の大木を描いた対になった二枚の絵が飛び込んで来たときに、まず圧倒されたの

と画家の写真を見る限り静かな面立ちで中肉中背の画伯にこれほどの熱情があること

に驚かされた。

 見終わって、ここまで来たのだからと十勝岳に立ち寄って行こうとそちらへ向かっ

た。途中で、吹き上げの露天風呂を通り過ぎ去るところだったが、久しぶりだったの

で一風呂浴びていこうと風呂場まで下りていった。男性が四人ほど湯に浸かっていた。

青みがかった温泉は、疲れと気分をゆったりとさせてくれる極上の、しかも、ただで

入れる別天地だった。

 十勝岳の望岳台の駐車場は、脇の残雪が溶け出して雨後のように濡れていた。あい

にく、十勝岳の頂上は雲に覆われ見えなかったが、大雪の残雪に輝く峰々は美しかっ

た。

 美瑛の街を通り旭川に抜けて道央道を走って帰途につき、プチ旅行は終わった。

 車を走らせている最中、頭に浮かんできたのは、後藤純男の世界だった。わけても

高さ1.8米、横14米の大作「雲海黄山雨晴」は、脳裏から離れなかった。雨が降って

いる右端から雨脚が弱まり、晴れ間をのぞかせる左端までの絵にはただただ圧倒され

ている自分がいた。人間にこんな素晴らしい能力を神様が授けて下さっているのだと

考えたとき、あらためてその偉大さや人間をここまで愛し、他の様々な能力を持った

人間を造って下さった度量の深さ広さにあらためて驚きを禁じ得なかった。富良野の

自然は相変わらず素晴らしいものだったが、今回の旅行では、あの絵に感服だった。 

 北海道が気に入ったこの画伯のアトリエの候補地に名乗りをあげた当時の町長の見

識に感嘆するとともに、そのことに、「ありがとう」と言える自分が居た。また、い

つか行けることを楽しみに。収穫の多いプチ旅行だった。

 

   山鼻教会機関誌「おとずれ」’17/7月号より

 


 

『わたしの夏』

 

    主任司祭 加藤鐵男神父 

 

 さわやかな初夏を迎え、心もからだもうきうきしてくる今日この頃です。わたしに

は、夏を迎えるために二つの必要なことがあります。一つ目は、春の雪割りです。待

っていれば自然に溶け出す雪ですが、少しでも早く春が来るようにとの思いで、毎年

スコップ片手にあちこちと雪を散らし、ついでに体力を養うための大事な行事です。

雪が段々少なくなっていくのは気持ちのよいものです。

 もう一つは、藻岩山登山です。まずは、藻岩山に登ってみて、道中体力が保てれば、

今年も山登りができそうだと自信が湧いてきて、わたしの夏がやってきたといつも嬉

しく思います。今月中旬の月曜日に藻岩山に行ってきました。今年初めての登山です

から、ゆっくりとしたペースで行きました。それが、良かったのか二合目を過ぎても

息が切れることなく歩くことができました。そうすると神様のご褒美でしょうか、嬉

しいことがありました。十三番目のお地蔵さん当たりにさしかかったとき登山道の前

方に、まるで私を待っていたかのようにエゾリスが立ち上がって静止しており目と目

が合ったのです。思わず「リスさんこんにちは」と声を掛けると手を合わせて祈って

いるかのように見えたリスははしゃぐように、山側に走りよったかと思うと遠巻きに

して私の周りを二回も周回して消えていきました。

 カトリックでは、十三という数字は縁起がよくないと忌み嫌う傾向にありますが、

それは、全くの迷信です。私には何か良いことの前触れとして神様がエゾリスを派遣

して下さったもののように感じられました。それが、何なのか楽しみにしています。

  このようにして、今年の私の夏が始まりました。

 

   山鼻教会機関誌「おとずれ」’17/6月号より

 


 

『聖金曜日の出来事』

 

    主任司祭 加藤鐵男神父 

 

 聖なる過越しの三日間の聖金曜日は、年に一度ミサが行われない日であり、キリス

トの十字架上での死の記念日である。この日、私のできることと言えば義務はないが、

大斎・小斎を行うこと、また、身を清めることぐらいと思い、伸びていた頭髪を刈る

ことにした。前頭部が終わり後頭部の首筋を刈っていたところ、電気バリカンの刃先

が、首に懸けていた金の十字架のネックレスに噛んでしまった。このネックレスは、

本来私のところにくるはずのものではなく、ある神父が二十年前本国に帰った際に、

ある信徒に土産として買ってきた物だった。その方が、私のほうが相応しいと助言し

てくれて、私の手元にきたものだった。女性用の小さな十字架と鎖も短かった。三年

前に鎖が切れて使用していなかったものを、昨年の春、息子達が、外国旅行するとい

うので、安く手に入るならと依頼したのだが、結局は上野の専門店で買った物を昨年

から使用していたのである。

 バリカンの刃先が、また嚙むと鎖が切れるとまずいと思い首からはずし、洗面台の

棚に置こうとした。眼鏡を外していたので棚に置けたと手を離したところ、鎖の三分

の二くらいが垂れ下がっていたらしく、十字架のネックレスは、まるで生き物のよう

に、スルスルと洗面台の排水溝に消えてしまった。聖金曜日の朝のあっという間の出

来事だった。

 本来私のところにくるはずのものではなかったものが、手元から消えただけだと諦

めて、未練はなかった。人は、やがて神のもとに呼ばれた時には、何も持って行くこ

とができはしないので、徐々に物を減らそうと考えていた矢先の事だった。物欲を断

つために、そのきっかけを神が下さったと思った。

 人には、物より大事なものがあるなどと教えるが、自分では何もしないと日頃から

後ろめたいものを感じていたので、神様が、聖金曜日に「主の受難」の中からこの事

を悟るようにとの計らいだったのではないかと思えたできごとだった。 

 この話にはオチがあった。普通洗面台の排水管は曲がっており、その曲がりの下部

にキャップがあって、髪の毛などを取り出せるような構造のものがあることを、その

瞬間思い出して、洗面台の下の扉を開けてのぞいてみた。相当な年代物らしく金属製

でキャップはなく、おまけに水滴が付いていた。どうしてだろうと管を外して見たら

あっという間に曲がりの部分が砕けてしまった。形ある物は、いつかは壊れるものだ

という、これも神からの示唆だったのだ。 

 

  山鼻教会機関誌「おとずれ」’17/5月号より

 


 

昭和の食堂

 

    主任司祭 加藤鐵男神父 

 

 三笠市中心部から車で十分走ると幾春別のかつて駅舎があった所の向かい側に一軒

の食堂がある。建物はレトロな昭和の雰囲気がある。暖簾をくぐり開き戸を入ると畳

一枚分程の玄関があり押戸を入ると中央の大きな石油ストーブを中心に四人掛けのテ

ーブル六つほどが並んでいる。この地は、昭和三十年代に大変栄えた炭鉱町で今でも

縦坑跡が残っている。三笠市幾春別地区は、今や市全体でも一万人を割る人口で往年

の賑やかさはない地域だ。そんな場所にあって、今でもお客が引きも切らないお店が

この一軒の食堂なのである。メーンはそばだが、らーめん、丼物も扱っている。開店

時間は午前十一時から午後三時までだが、客が引っ切りなしに入り、満員の時もある。

幾春別全体でさえ四百八十人程の人口で、店の近辺は、更に少なくなる。それでもこ

れだけの繁盛食堂なのである。実は、この近くにもう一軒自宅を改装した靴を脱いで

上がる繁盛食堂がある。二軒とも北海道新聞に紹介されたことがあるので、ご存じの

方もあろう。人口の過疎地域でも二軒の繁盛食堂が存在する理由は何であるのか考え

てみる。それは、やはり「美味しい味」に裏付けられた魅力にあるのであろう。わざ

わざ車を走らせてでも食べに行こうとその気にさせる味をいつまでも保っているから

こそなのであろう。つまりは、基本が大事だということである。

 これを、わたしたちの教会に当てはめてみると個々人の信仰をはぐくみ続けること

はもちろん、共同体としても、信仰をいかに保ちながらも絶えず進歩を目指して歩い

ているかが、問われるのではないだろうか。

 わたしたちは、イエス・キリストの教えを本当に理解し、それを守り実践し他の人

々に伝えているだろうか。その基礎が、しっかりと自分たちの身になっていれば、ど

んな場面でも驚くこともうろたえることもなくなる。 

 イエスは、いつも寂しいところで一人で祈っておられた。わたしたちも、試練、困

難、苦しみに負けることなく、基礎をもう一度見直し、じぶんたちの確かな信じるも

のを、人々に伝えることができるよう祈り、生活の糧としたいものである。

 

  山鼻教会機関誌「おとずれ」’17/4月号より

 


 

『わたしは世の光』

 

    主任司祭 加藤鐵男神父 

 

 神は、恵み深く憐れみに満ちた方でおられます。毎月、この「おとずれ」の原稿締

め切りが近づき頭を悩ますわたしに、その都度材料を示してくださり、わたしを安心

させてくださいます。「そのときには、言うべきことは教えられる」(マタイ10・19)

とイエスは言われます。今月も正に、そうでした。

 人間にうっかりは、付きものです。聖アガタの殉教記念日のミサが、佳境に差し掛

かる時でした。祭壇近くに座って参列していた信徒が、驚いたような顔をされました。

口から出たのは「ローソクに火が付いていない」というものでした。すぐに香部屋か

ら糸ローソクに火を付けてきて、祭壇のローソクに火が灯されました。それまで、司

祭が入堂し祭壇の前でお辞儀をしていました。朗読奉仕者もその前でお辞儀をし、朗

読を終えて席に戻っていました。その他に数人が参列していました。しかし、だれ一

人として気がつかなかったのです。いつもの通り、準備は完全だと思っていました。

それが、落とし穴でした。

 ところで、祭壇にローソクを灯すのには、どのような意味があるのでしょうか。イ

エスは、「わたしは世の光である。わたしに従うものは、暗闇の中を歩かず、命の光

を持つ。」(ヨハネ8・12)と言われます。ちなみに、「キリスト教におけるローソ

クの使用には、機能的側面とともに世を照らす『光キリスト』、復活したキリストな

どのシンボルとしての側面、聖人や聖遺物などへの表敬としての側面があると記され、

2世紀頃から始まり、4,5世紀には定着したと言われています。」(『新カトリッ

ク大事典』第4巻1440頁より)

 また、ローソクの炎には、炎が上に向かって灯っているように、祈る信者の願いが、

天まで届くようにとの心が込められていると言われます。「絶えず祈りなさい」(1

テサロニケ5・17)、これこそが、イエス・キリストが望んでおられることです。

 いつも世を照らし、わたしたちの足もとをも照らして導いてくださる神に感謝をし、

わたしたちのなすべきこと、話すべきことはすべて教えてくださるという神に信頼を

おいて従順を誓うわたしたちでありたいと願います。 

 聖アガタの殉教記念日に、肉体に傷を負わせるような迫害の目にあうことはありま

せんでしたが、慢心に陥りやすいわたしたちの鼻っ柱をへし折り、気づかせてくださ

った神に感謝です。 

  山鼻教会機関誌「おとずれ」’17/3月号より

 


 

『息子の結婚式』

 

   主任司祭 加藤鐵男神父 

 

 一月八日の日曜日に息子の結婚披露宴が、東京のディズニーリゾートのホテルで行

われました。親戚、友人、勤め先の同僚など総勢八十人余りが出席しての披露宴にな

りました。それに先立って行われた結婚式は、ホテル内の小さなチャペルに六十人程

が参列し私の司式で厳かに行いました。

 日本のカトリック教会始まって以来、最初の父親神父による息子の結婚式となりま

した。チャペルの正面のガラスの組み合わせの棚には小花が飾られ、ロウソクもどき

の炎が自動的にゆらめき、儀式書を置くだけの大きさの透明なプラスチックの台の中

は花が詰め込まれており、コルプスの無い古めかしく作られた十字架は、何となくそ

ぐわない雰囲気を漂わしていました。オルガニストと聖歌隊と称する二人の女性は、

ゴスペルを歌うコーラスの人たちのようなブルーと白の衣装を着けていました。 

 これらの事には一言も触れず私は、カトリックの儀式書にのっとって心を込めて淡

々と挙行しました。形式主義の見せかけだけの式では無く、息子の為に親として最大

の出来る限りの事をしてやりたいとの思いからでした。時間がオーバーして延長料金

は発生しましたが、本人達の希望で端折らないで儀式書通りやって下さいとの意向

沿いました。説教の中で、父親神父が息子の式をやるのは、日本のカトリック史上

めてですというと、「おう!」という声が挙がりました。共同祈願も主の祈りも、

席者全員が唱えて下さいました。私にとっても思い出に残る結婚式となりました。

の荷が一つ軽くなりました。 

  山鼻教会機関誌「おとずれ」’17/2月号より

 


 

『すくい主』

 

   主任司祭 加藤鐵男神父

 

 ある朝、いつもの起床時間と思い起きてみると1時間早かった。せっかくだからと

パソコンに向かい、打ち込みをしていると玄関の呼び出しがピンポンと鳴った。まだ

夜明け前で暗いのにと時計を見ると5時5分前だった。返事をすると聞き覚えのある

声で「神父様助けてください」と言う。悩み多き人物だった。30分だけという条件で

話を聞いた。一睡もしていないという。話を聞いたうえで、「今のあなたにとって必

要なことは、自宅に帰ってぐっすり寝ることだ」と助言して自宅に帰らせた。

 私は、この時に、神様は、人使いが上手だなとほとほと感心した。この朝1時間早

く起床していなければ、部屋の明かりをつけることもなく玄関の鍵も開けてはいなか

った。そうすれば、この人物はすごすごと来た道を引き返さなければならなかったか

もしれない。面談することもできなかったにちがいない。この一人の悩み多き人物の

ために神様は、この朝、私を用意したにちがいない。

 神様は、すべての人の救いの為に、この世に御子を派遣してくださいました。すべ

ての人を救う為です。すべての人ですから条件はありません。救われたいと思う人は、

誰でもその恩恵に預かれるということです。神様は、様々な手段を使って、その人に

とって一番良い方法で、しかも一番その人のためになるように計らってくださいます。

もしかしたら、その時には願いがかなわず、救われたと思うことができないかもしれ

ません。しかし、必ずやいつかその願いを適え救ってくださるはずです。

 私たちは、自分で努力をすることはもちろんですが、そこに自分の力だけではなく、

神様の大きな力が働かれるということを信じて、全てをゆだねて生きることが、求め

られます。 

 御父は、この世に、すくい主として御子を派遣してくださいました。降誕祭は、そ

のことを御祝いする日です。私たちが、歩む人生には、様々なことが起こり、自分で

どうあがいてもいかんともし難い事態に陥ることがあります。すべての人が救われる

という教えに、希望を見いだし、困難、試練を乗り越えさせてくださいますようにと、

願いたいものです。 

  山鼻教会機関誌「おとずれ」’17/1月号より