ブログ (2019年1月~ )


『異文化に触れて』

司祭 加 藤 鐵 男  

 今年も高校生のフィリピン・エクスポージャーが、開催されました。山鼻教会からも男性と女性各一名ずつが参加しました。年が明けて二日から十日までセブ島にある福祉施設「イースターヴィレッジ」で、現地の子供たちとの交流を通して異文化を学ぶ良い機会になったことと思います。しばしば、親の主導で参加する方もいますが、終えて帰ってくると意外や意外、本人が「また、行きたい」と願う参加者がいるのもこのフィリピン・エクスポージャーの特徴だと思います。いまは、日本では中々体験できない鶏を参加者自らが潰して、その食料を大切に残さず食べたこともあります。豚の丸焼きに時間をかけてじっくりと焼き上げ、それを皆で頂戴して、いのちの大切さを学ぶプログラムもありました。最近は、時間の関係でそれもできないとの話も聞きました。しかし、その分現地の子供たちとの密接な時間が確保され、心と心のふれあいが、十分にとれて別れがつらく泣きながら日本に戻ってくる光景が見られるようです。

 十代の純粋な心は、何事にも敏感ですべてを吸収する柔軟性を持っています。こういう時こそ、大人になってはできない様々な良い体験をさせて、後々の豊かな心を持ち合わせた立派な人間となるべきその歩みを、今の私たち大人が、その支援をして、支える義務があると思うのです。今回の経験を今年限りで終わらせるのではなくて、続けて参加させて更なる交流を通して、深い絆となっていくなら送り出す方にも豊かな喜びが訪れるというものです。

 さて、山鼻教会に韓国人の神父が赴任して間もなく一年になろうとしています。この間、何度も韓国人の司祭、信徒が訪れてくださり。この方々と触れ合う良い機会になっています。今まで知らなかった韓国のカトリックの状況が少しずつ見えてきています。

 また、山鼻教会の保護の聖人が「幼きイエズスの聖テレジア」のご縁で「カルメル会」の神父が代わる代わる訪れてくださいます。ベトナム人の技能実習生や留学生が四、五人主日のミサに定期的に参列するようにもなってきています。降誕祭には、インドネシア人とフィリピン人の観光客各々二十人ほどの団体が夜半と日中のミサに参列していました。 

 同じ信仰を持つカトリックの信者として、すぐに触れ合いのできる素地が最初から出来上がっています。あとは、お互いが、胸襟を開いて、その一瞬一瞬を豊かなものにしていく努力、実践が大切です。言葉が通じなくとも、こちら側が受けいれる姿勢を見せることによって、僅かでも通じ合うものがあると思います。国際都市と宣言する札幌市民として世界共通の宗教カトリック教会の信者として、「すべての人を救おう」となされるイエス・キリストの思いを、私たちも異文化を通して、お互いを大切にする心と心を養う一年にできたらと思います。

 

山鼻教会機関誌「おとずれ」❜19/2月号より

 

 



 

『知ること』

司祭 加 藤 鐵 男 

 司祭の仕事は、それぞれの教会での司牧、つまり信徒との交わりを通して、共同体の円滑な運営を図ることが大きな役目です。そのほかに各司祭に与えられる委員会での担当司祭としての役割があります。

 私に与えられている委員会の一つである正義と平和協議会では、毎月の例会の中で学習会を行っています。先日、長年、札幌ジョックの協力者として働いてくださった方を招いて、そのお話を聞く学習会が開かれました。その中の話で、大事なことはまずは、「知ること」と「共に一緒に生きること」ですと言われていました。

 私には、もう一つ、教区での委員会ではありませんが、「札幌マック」という団体の理事長という肩書があります。本当に肩書だけの事しかしていませんが、スタッフとの分かち合いを毎月一回行っています。もう、それが七年近く続いています。彼らの壮絶な人生を聞くたびに、よくぞここまで這い上がってきた驚きと同時に感動を覚えます。前任者の司祭が遠方に転勤になって、軽い気持ちで引き受けた役目でしたが

依存症の方々のそれまでの人生やそこから抜け出したきっかけを聞くとそこに、かれらの言うハイヤーパワーの恵みが及んでいることを感じます。

 部外者にとって、大事なことは、まずは、そのことを知ること。そして少しずつ理解することに努めること。そのうえで、その方々に寄り添うこと。自分の時間を割いて、その方々のお話を聞くこと。そして交わりを持つこと。

 先日、札幌マックのクリスマス会に参加してきました。例年より多い方々が集まってくださいました。何十年もまえに克服した人々も集まって、その当時の自分に戻って、躊躇なく自分をさらけ出していました。

 教会共同体もそうありたいものです。

 

山鼻教会機関誌「おとずれ」❜19/1月号より